長距離選手にとって、
食欲も才能のひとつだと言える

栄養アドバイザー(立命館大学・同志社女子大学講師)河合 美香

昨年のシドニーオリンピック・女子マラソンの金メダリスト、高橋尚子選手が大食漢だと報道されたことは、ご記憶の方も多いかもしれません。ランナーというと過酷な節制というイメージがつきものですが、それは過去の話のようです。今回は、かつてはご自身も長距離ランナーであった栄養アドバイザーの河合美香さんに、運動選手の栄養摂取のあり方についてお聞きしました。

栄養の摂り方に失敗してしまったことが栄養アドバイザーを志すきっかけとなった

■もともと陸上ランナーだったとのことですが、栄養アドバイザーに転身するきっかけは何だったのですか。
●陸上は中学の頃から始めていたのですが、本格的に始めたのは高校進学を考えているときにあの小出監督から勧誘されたのがきっかけです。小出監督は今や渦中の人ですが、当時は千葉県の市立船橋高校で監督をされていました。それで市立船橋高校に入学させていただいて、ご指導を受けることになりました。
  当時から小出監督は食事に関して非常に勉強をされていて、食欲も素質のひとつだという考え方をされていました。監督によっては、選手が太るのを恐れてあまり食べさせないのですが、小出先生は食べなければ走れないとおっしゃっていました。ですから私も「ランナーだから食べてはいけない」という意識は全くなく、ごく自然に食べていました。
  ところが、大学(筑波大学)に入学して監督と離れ、また、自炊するようになると、食事に関してはトレーニング以上に気を使わなければならないという意識が芽生えました。それが間違った方向に向かってしまったのです。当時、友人があるダイエット法で成功したものですから、私もそれをやろうとしたのですが、それが今考えればとんでもないダイエット法でした。

■どのようなものだったのですか。
●「たんぱく質はあまり摂らない」というものだったのです。トレーニングしても食べないのでどんどん身体が疲労してしまう。自分ではこんなに練習を頑張って、気力も十分なのに、なぜ身体がついてこないのだろうという感じでした。大学では、体育専門の学部に入って、スポーツ心理や運動生理、トレーニング理論といった勉強はしていたのですが、栄養学は選択科目だったため取らなかったのです。ですから栄養に関する知識は全くないままでした。
  大学を卒業すると、再び実業団で小出監督の指導を受けることになりました。ところが頑張ろうとしても身体がついていかず、結局ケガをしてしまい、競技を断念することになってしまったのです。そのとき考えたのは、やはりトレーニングだけではだめだということでした。そこで、今度は選手をサポートする立場で何か役に立つことができたらと考え、再び大学に戻って栄養学を勉強することにしたわけです。

マラソン選手に対しては、いかに疲労を回復させるかが献立を考える上でのポイントになる

■今のお仕事は、やはり陸上選手への栄養指導が中心となるのですか。
●直接食事を作ったり合宿に同行するのは陸上選手が多いですね。ただ、栄養に関するアドバイスは、いろいろな競技にわたります。プロの自転車選手もいればボートやホッケーの選手もいます。

■現在では、栄養に関して正しい知識を持っているスポーツ選手は多いですか。
●いえいえ、全く栄養に関心がない選手もいますし、種目によっても違います。オリンピックに出るような選手でも、「こんな食事をとっているの!」とびっくりすることもあります。もう少し食事に気を使って自分の身体のことを考えればもっといい成績が出るのではないかと思うこともあります。一般的に、球技系の種目は戦術やチームワークが絡んできますから、食事の影響はさほど大きくないのですが、陸上や自転車、トライアスロンなどは体力勝負の競技ですから、栄養に対する関心は高いといえます。

■マラソン選手に対しては、どのような栄養指導をするのでしょうか。
●最近、特に選手のレベルが上がってきていますので、質の高いトレーニングをいかに継続できるかがポイントになります。つまりいかに疲労を回復させるかです。いろいろな方法があるのですが、基本は、使った分のエネルギーは必ず補給するということです。エネルギー源は炭水化物や脂肪分ですから、それらを中心にして献立を考えます。それから、練習の後は内臓が疲労しますから、うまく吸収されるように調理することも大切です。食欲をそそるように盛り付つけるような工夫も必要ですね。

■炭水化物というと、どのようなものを?
●選手によって違います。女子選手はご飯を食べることに関して少々罪悪感を持っている場合があります。太ってしまうという意識が働いて、白いご飯を食べるのに抵抗があるのです。ハードな練習の後にはしっかり食べないと疲労も回復しないし、練習にも耐えられないので、白いご飯に抵抗がある場合には炊き込み御飯にしたり、いなり寿司や海苔巻にしたりします。そうすると選手は喜んで食べてくれます。

マラソンレース前は、エネルギーを蓄えるための「グリコーゲン・ローディング」を行う

■朝食は、トレーニング前にとるのですか。
●いえ。基本的に長距離選手は空腹状態でトレーニングを行います。食事はトレーニング後にとりますから、その目的は走った分のエネルギーの補給ということになります。また、疲労の回復と同時に、ケガをしないための栄養摂取を考えます。練習内容によっては、筋肉をつくるようにたんぱく質を中心としたメニューを考えることもあります。


■昼に比べて夜はボリュームたっぷりですね。
●朝、食べないで練習しますから、あまり夕飯を控えると、翌朝はたいへん空腹な状態で練習することになってしまいます。そういう意味でも晩ご飯はしっかりとるわけです。それから、睡眠中に筋肉や骨がつくられるため、夕食でしっかりその材料であるたんぱく質を摂る必要があります。
  また、夜は練習して食欲がなくなっていることがあるので、調理法にも気を使います。あまり大きな塊のままで出すと噛み砕くのが大変ですから、消化吸収のよい調理法を考えます。それから、朝も夜も必ず鉄分の多いレバーとヒジキを出して、貧血を予防するように気をつけます。

■大会前の食事は、普段とは違うのですか。
●マラソンレースですと、「グリコーゲン・ローディング」を行うことが多いですね。これは炭水化物=エネルギー源を身体の中に蓄えておこうという食事法です。選手によって多少、そのやり方は違いますが、基本的にはレースの3日くらい前から炭水化物の摂取量を増やしていきます。ただし、厳密に行う人はレースの1週間前から3日前くらいまでは逆に炭水化物を減らし、その後、今度はレースが近づくにつれて増やしていきます。一度、身体が炭水化物を欲している状態にさせるため、より多くの炭水化物が身体の中に溜まるわけです。

■その他に栄養摂取でのポイントはありますか。
●どんな種目でもそうですが、選手によって体質やレースパターンなどが違いますから、一概には言えません。マラソン選手を例に上げれば、自分のペースで自在に走る選手もいれば、人の後をついていって最後だけスパートをかけるという人もいます。そう考えると、栄養摂取のポイントも細かくなります。走り方によって、給水ボトルに何を入れるか違いますし、同じものでも給水ポイントごとに濃度を変えることもあります。また、給水ポイントによって当然飲む時間が違ってきますから、氷の量を変える場合もあります。レースの戦略によっては、さあ、これから勝負というときにエネルギーを多く摂れるようなドリンクを置くこともあります。

長距離選手にとって、カルシウムと鉄分の摂取は非常に重要

■女子選手では、よく骨量の低下が問題になりますね。
●ハードな練習しているのに食べないと、体脂肪は当然減っていきます。それがある限界を超えると、月経がなくなってしまいます。これは女性ホルモンの分泌が低下している状態です。女性ホルモンは骨を強くすることにも関係しているので、それが減るということは骨がもろくなることにつながるわけです。
  しっかり食べていれば骨はしっかり作られるのですが、そうしないのは、指導者側の問題もあります。中には、「月経があるようでは体脂肪が多いんだ」という指導者もいるのです。体脂肪が落ちて、それで1回はそれなりに良い記録が出せたとしても、その後は身体がボロボロになってしまい、競技を続けられなくなってしまうこともあります。そのようなことで、期待されていたのに消えていってしまった選手も多いですね。栄養面での問題もありますし、食べてはいけないという精神的なストレスもかなり大きく影響しています。

■骨量を維持するためには、やはりカルシウムの摂取が大切ですか。
●そうですね。何でも食べることが大切ですが、特にカルシウムと鉄分の摂取は非常に重要だと思います。カルシウムは、もちろん骨を作る材料になりますが、疲労骨折を防ぐためにも必要です。牛乳やヨーグルトについては、選手はかなり意識して摂っています。ヨーグルトなどは特にアドバイスしなくても、選手たちは好きですからよく食べます。デザートとして食べたり、私が料理に使うこともあります。牛乳やヨーグルトは、ほとんどの選手が食事ごとに1杯ずつは飲んでいます。
  海外に行くと、日本に比べて、脂肪分を減らしたヨーグルトがたくさんあります。フルーツ入りで低エネルギーのタイプも種類が多いですね。ですから、選手の要望に応じてそのようなものを買うこともあります。

走ることと同様に、食事もトレーニングのひとつ

■この3月、4月には、高橋尚子選手の合宿に参加されるそうですね。
●はい、高橋選手の所属するチームのアドバイザーとして、アメリカのボルダーで行われる合宿に加わります。参加する選手は4〜5人で、監督、コーチなどを合わせて7〜8人の合宿になると思います。

■報道などでは、高橋選手は非常によく食べると言われていますが、いかがですか?
●報道されているように、毎日毎日、お寿司を十人前食べるなんてことはありませんよ(笑)。食べるときは食べますが、それはそれだけ練習をしているからです。オリンピックが終わって帰国してからは、いろいろなところに招待されて練習量も少なくなっていたので、それなりに自分で食事量を控えていたようですね。
  トレーニングにしてもそうなのですが、何のためのトレーニングなのか目的を知って行う方が効果があるわけです。同様に栄養についても、選手自身が自分の体調を判断しながらしっかり自己管理できることが大切だと思います。小出監督もよくおっしゃるのですが、走ることもトレーニングですが、食事もトレーニングだと思います。監督は、食欲がない選手は自分のところでは勧誘しないとおっしゃっているほどです。

■それだけ、食事は大切なんですね。
●結局、食欲がないということは、内臓が弱いということです。エネルギーがしっかり入らないから練習量をこなせません。今の高校生でも、強い選手はたくさんいますが、現時点で節制してなおかつすごい練習量をこなしていたりすると、将来、身体は大丈夫かなと心配になります。中学・高校・大学くらいまでは、ある程度遊ぶ時間もあるくらいの方が、身体も骨もしっかり作られるのでいいのかもしれませんね。

●ありがとうございました。
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